コロナ禍のもと開催された、57年ぶりの日本での夏季オリンピック。 私の感想としては 「これが今の日本を表す象徴」と映った。 忙しく時間もないので、オンラインで飛ばし気味に見た開会式。 ドローンを今の最新技術で飛ばすも、アイデア・発想としては韓国の二番煎じ。 演出も、ツイッターで散々言われているように学芸会並。
特に私が落胆したのは 閉会式の光の粒事件。 そもそも、開会式で落胆してしまったので、閉会式は見てもいなかったのだが、のちにツィッターやyahooの記事を見て落胆してしまった。 それはこのツィートだ。
何と、皆が唯一認めた演出が、現場で再現されたものではなく、画像のみで閲覧可能なCGだとは・・・・
これは、さすがに恥ずかしい。
私の想いを皆も抱いていた。
そう。
私も日本人としての自信と誇りを失ってしまいそうな事であった。
ただ、大切なことがある。
確かに、これは時の企業電通やパソナが企画し、その結果こうなったものだが、大きな枠で捉えれば、我々日本人、もっといえば世界全人類の「現在の念の集合知」が結集した結果だといえるのだ。
言い換えれば、その責任の80億分の一が我々一人一人にあるということだ。
一人の念が個を
自分そして家族たちの念がファミリーを
そしてファミリーの集まりが地域を
また、別の切り口では企業という集団念を形成していく。
最終的に出来上がるのが日本や世界、そして宇宙という総合念である。
元をたどれば、全て、あなたや私の「個念」からこの世は成り立っている。
そう考えると
先のオリンピックでの事象も
自信を失うことは大切だと思う。それはひとつの気づきだから。
ただ、その後が大切。
なぜ、そんな日本になってしまったのか
なぜ、このような状況を許す世界になってしまったのか。
その答えを外の世界に求めることは簡単だが、大概外に求めた場合、それは愚痴となり解決はしない。
では、どうすれば良いのか。
「自分」だ。
全てを「自分」発にして物事を捉えることだ。
自信を失ってしまうような日本、そしてそれをとりまく世界がある。
ならば「自分」がその一部を変革してみる
そのような想いが今求められているのではないだろうか。
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